New Japan Initiative Blog – 在米コンサルタント3人が日本人ビジネスパーソンに提言します!


2014年 謹賀新年

OLYMPUS DIGITAL CAMERAMasakiです。明けまして、おめでとうございます。

今月号のForeign AffairsにIcelandの記事が載っていました。「なぜ、北極地方の人口たったの32万人の国が、財政破綻状態に陥ったのか?」歴史的に漁業とアルミの製錬で成り立って来た国が、2003年に銀行業務を完全民営化した事により、世界の大手銀行からの資金流入が過剰に起こり、2008年には、GDPを以前の10倍まで押し上げてしまったようです。実体経済での成長ではなく、ペーパー上、いや、コンピューター上のGDP評価です。

漁業やアルミ製錬といった内向き志向でも充分経済が成り立っていた世界に、急激にグローバルマネーが押し入って来て、健全な判断をする知識も外向きマインドも持っていなかった事が、問題をここまで大きくした原因の一つだと答えています。金融改革をした事により、本人達の知らない内に、グローバル市場に押し上げられてしまったようです。

普段日本で生活していると、海外との繋がりを余り感じる事ができません。日本製の製品、食品が溢れていますのでね。それでも見えない所で、グローバル化の流れは確実に起こっております。実感がない内にグローバル市場にさらされ、そこでもたらされた不利益な結果だけを甘んじて受け入れなければならないような事態を避ける為にも、個人個人が外向き志向で、グローバル市場で戦えるスキルを身に付けておきたいものですね。

今年も現場からのトピックをお伝え致します。皆さんからの活発なご意見もお聞かせ下さい。

“Based on the article of Iceland’s Saga” in Foreign Affairs. Jan./Feb. 2014, pp. 142-150.



Live to work or Work to live?

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Masakiです。カリフォルニアって、多くの波乗りのポイントが州立公園になっているんです。心と身体に気持ちいい事に、国民を上げて取り組んでいる感がありますね。世界中からサーファーが集るトラッセルズ!一般的に景気が良かろうが「悪かろう」が、「それはそれ、これはこれ」で両方に全力投球している感じを受けます。

私のセミナーでも良く話題になるのですが、Live to work or Work to live…

「働く為に生きている」つまり、仕事があっての人生でしょう?先ず、お金がなきゃ、始まらないでしょう?という発想ですね。私を含め日本人は、この発想の方が多いかも知れません。アメリカに移住した当初、住む場所を失って、老人ホームにお世話になっていた時期がありました。この時期は、100% Live to work でしたね。余りにも生活が苦しかったので、「年棒いくら」「会社で役職につく」とか、「キャリアアップ」を目標に10数年頑張ってきました。すると、知らず知らずの内に、生きる事の目的自体が「働く事」にすり替わってしまうんですね。

その対極が「生きる為に働く」つまり、仕事は自分を活かす為の手段の一つ、自分自身を生き切る為の糧の一つという発想です。私の周りのアメリカ人には、Work to live の人達も多い感じがします。日本では、余りお目にかかれなかった価値観をもった人達です。意外に多いので、ビックリしています。しかも、全員が全員貧乏というわけでもなく、経済的に成功を納めている方達も、思いのほか、います。

どちらの発想が良いとか悪いとかの話しではありません。但し、皆さんがグローバルに仕事をしてゆく上で、この価値観の違いがある事も考えて仕事を進めて行くと、効果的に恊働できるのではないでしょうか。 個人的には両方のバランスをいつも意識して、人生の目的を忘れない事でしょうかね。もっともっと、広く深い視野で生きて行きたいですよね。 私の場合は、「死ぬ気で遊び、死ぬ気で働き、死ぬ気で愛す」でしょう。じゃないと、人生もったいないです。もう余り残ってないのかもしれないし。。。やっぱり、究極は、「Love to work」ですかね?

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Low Context Culture

Masakiです。前回は、High Context Cultureについて話しました。今回は、その対極にあるLow Context Cultureについて展開してみましょう。

グローバルビジネスでは、一般的にLow Context Cultureの環境である事を前提に取り組んだ方が効果的に物事を進められます。Low Context Cultureとは、社会を形成している人達の異質度が高く、共有する価値観の幅が狭い文化をさします。つまり「お互いに理解し合えなくて当然」という発想に立った文化です。

例えば、国際空港などはLow Context Cultureを前提に考えられています。海外旅行が初めての日本人でも、海外からの人で日本の習慣が分らない人でも問題無く利用出来ます。ルールが明確に決められているのです。出国するには、チェックイン、搭乗券の受け取り、セキュリティーチェックを通り、出国手続き、そして各ゲートに行く。これらのルールは、初めての方でも分る様に、明確に示されています。これらの求められる行動は、High Context Cultureにみられる「あ、うん」の呼吸で行われるものではありませんね。また、日本特有の行動様式でもありませんね。「この人は紳士みたいだから、セキュリティーチェックはいらないね。」何て事は、ありえません。

ここで前回の例をLow Context Cultureに置き換えてみるとどうなるでしょう。分り易い様に、かなり簡略しております。

“Please rewrite your summary report like a business professional.”  (High Context Culture)

“Please rewrite your summary report, starting with your recommendation or summary, followed by reasoning and supportive data.”  (Low Context Culture)

つまり誤解を避ける為、言葉数を増やしてでも、できるだけ内容に具体性を持たせ解釈の幅を狭めるような表現をすると効果的にコミュニケーションができるという事です。

Low Context Cultureに対応するに当たって、日本人のようにHigh Context Cultureの環境で生活している人達の最初の関門は、”自分の思考を自分自身で明確に把握する事” です。これには、かなり高い意識をもって時間を掛ける事になります。自分自身の思考変革トレーニングです。これもBeingに働きかける事になりますね。

皆さん、グローバルビジネスの現場で、思い当たる事はありませんか?

*High context culture and the contrasting low context culture are terms presented by the anthropologist Edward T. Hall in his 1976 book Beyond Culture.



議論で勝って、恨みを買う

Masakiです。日本の友人から「正論で押しまくっても、恨みを買うからな〜。」とか「相手の逃げ道もちゃんと残しておかないと、後でしこりを残すよな〜。」などとよく聞きます。又、グローバルビジネスで「あれだけガンガンやって、あの二人結構仲がいいじゃん。」などと不思議がる日本人も見かけます。何はともあれ、日本人はガンガン議論を戦わせる事の経験が少ないように思われます。

グローバルビジネス環境というのは、そもそも異質性の高い社会です。自分自身の考えを持ち、行動し、又は意見を率直に他人に伝える事は、自然な成り行きです。そういったグローバルなステージで日本人がガンガン議論を戦わせると恨みを買う事も多いようです。そんな経験から、国内国外を問わず「議論で勝って、恨みを買う。」というイメージが出来上がっているのかもしれません。

では、議論慣れしている人達と議論に慣れていない人達、議論しても恨みを買わない人達、買う人達の違いはどこから来るのでしょうか?

これは、目的意識、又は目的に対しての取り組み方の違いから来るのだと思います。グローバル社会という異質性の高い社会では、議論を戦わせる前に目的をしっかり共有する事が多いです。目的をハッキリさせ、強い軸足を基に議論を戦わせます。日本社会のように同質性の高い社会では、目的という看板はあっても、曖昧な認識であったり、何を目的とした議論なのかという共有も浅い為、どうしても軸足が弱くなってしまいます。

そんな状況の中、ガンガンやりあってしまうと、主題と関係のないところまでガンガンやりあってしまい、お互いの感情を傷つけてしまう事もあるようです。良くある例が、「だから君はダメなんだ。」です。皆さん、こういう表現を耳にしたことありませんか?

これって人格への攻撃であって、議論、または、目的を達成する内容とは違う類いのコメントですよね。ここに踏み込んでしまうと、外国人だろうが日本人だろうが、後でしこりを残してしまいます。

グローバルに活躍し、議論慣れしている人達は、この辺をきちんとわきまえてガンガンやっている事が多いです。こんな所を意識して、ガンガン議論する事も日本人のグローバル化に繋がると思います。



チームワーク Part 3

Masakiです。前回はチームワーク日本社会というテーマに絞ってみました。今回は、Team Buildingグローバル社会について考えてみたいと思います。

私が日本で仕事をしていた時、就職というより就社という意味合いで働いていたのかもしれないとう話しをしました。グローバル社会を考えてみますと、やはり就職という感覚の方が強く感じられます。

以前、中国人の同僚や友人と”会社への忠誠心”が話題になりました。彼等からは、就社意識とか会社への忠誠心は余り感じられませんでした。しかもキャリアスパンも3〜5年と短く、「アメリカに似ているな〜。」何て思いました。

日本の会社を引き合いに出して、「どうして会社自体に魅力がないの?」などと聞いてみました。彼等からの言い分をまとめてみると、「改革開放以降、沢山の会社ができ、それと同時に沢山の会社も倒産した。」「会社に人生を掛けるなんてギャンブルは、とてもできない。」「自分の職、プロフェッショナリティに力を付け、自分の市場価値を高める事で生き残りを掛ける。」「会社は、仕事や成果で報酬を払ってくれるところ。」などがありました。

アメリカ、中国でのビジネスでは、プロの仕事に対して報酬が払われる傾向があるようです。現在のビジネス環境を考えてみると、以前のように何十年、何百年とトップで走り続けられる企業も少なくなって来ているように思えます。また、急激に、そして永続的に続く経済成長も考えられません。このような環境では、特にグローバルな視点からみて、”会社依存型” の労働力よりは ”プロフェッショナル型” の労働力の方が自然な形なのではないでしょうか。

グローバル環境で、プロ意識が高い人達が集って共同作業をするとなると、やはりTeam Buildingという形になるのではないでしょうか。イメージ的には、野球のチームですね。ピッチャー、キャッチャー、ショート、4番バッターなど、それぞれプロとしてやるべき仕事があり、全員の力を合わせて勝利に向って突き進む。そんなTeam Building を軸にしたTeam Workがグローバル社会で意味するところのTeam Workだと思います。

この場合、仕事のスキル、個人のバックグランドなど、多様性に満ちた人間の能力を最大限に引き出し、牽引して行く力が必要です。つまり、リーダー的存在が重要になってくるのではないでしょうか。野球でいうと監督でしょうか。

日本の会社での ”まとめ役” とはちょっと違う役割をグローバル社会は求めているのかもしれません。いかがでしょう?