New Japan Initiative Blog – 在米コンサルタント3人が日本人ビジネスパーソンに提言します!


恥と罪悪感 パート2

masaki-photomasaki です。

与謝野財務相の迂回献金疑惑で、本人は、「政治資金規正法上、問題はないとする認識である。」と伝えられていますね。ここで、日本の社会に面白い傾向がある事に気付きました。

”法律上問題ない。” ===> (だから、この行為はOKである。)

“会社の方針だから。。。” ===> (やりたく無いけど、やる。仕方ない。)

“電車で、年寄りなどに席を譲れない。” ===> (断られたら、恥ずかしい。) など。

つまり何かの行為をするのに、しないのに、又は、言い訳をするのに、外的要因を理由の一つに上げる傾向がある様に思えます。「これこれこう言う理由があったから、仕方なくやった事で、本当は、私自身は悪く無いんですよ。分って下さい。」

ここでは、良い悪いの判断をするつもりはありません。興味深いのは、この傾向は、恥の文化に根ざすのではないでしょうか。良い結果がでた時は、謙遜という形で周りを気遣う。悪い結果がでた時は、周りに責任を押し付けてしまう。全部が全部とは言いませんが、そんな気がします。判断基準が自分の中に確立していないので、行動が周りの状況によって変わってしまうの事が多々あるのではないでしょうか。

ところがアメリカでは、何か事件があった時、「法律上は、問題無い。」なんて返答は、聞いた事がありません。パート1のコメントでも紹介しましたが、”Ethics precede the law.” つまり、倫理法律に優先するという考え方があります。それから、法律上問題があるかどうかは、裁判で争われる事で、当事者の認識とは別次元の問題であると捉えてるようです。

倫理というのは、法律とは別の次元で存在しているようです。行った行為が正しいか、悪いか、人それぞれ自分なりに認識している事が多いと思います。だから日本人からすると、明らかに不快な行動でも、彼らの認識では、正しい事と信じて行動している事も多いです。自分自身に基準があっての行動です。

恥という文化は、周りの状況から自分の立ち位置を決め、罪の文化は、立ち位置を決める基準を自分自身の中に持っているのでしょう。じゃあ、立ち位置、ethics ってどう決めているかなと思い、近所の人達にも聞いてみました。

この人達は、敬虔なクリスチャンです。よって、いろいろある意見の中の一つとして捉えて下さい。要約するよ、こんな事を言っていました。

「神様は、私達の行為をいつでも見ているんだ。あなたの心は、ガラス張りの様に神様に通じてしまうよ。だから、人が見ていようが、見ていないようが、良い事は良い。悪い事は悪い。あなた自身が、一番良く分るはずでしょう。」

良いにつけ悪いにつけ、自分自身に基準をもっているから、あまり行動にブレが無いのかも知れません。よって、間違いに気付いた時は、非常に潔さを感じます。そして、本人が正しいと思う事は、会社の方針、上司、部下の関係に関わらず、トコトン戦ってくる人も多く見られます。

では、法律はどういう位置づけかと言うと、”行為が、正しい、正しくない” を判断しているのではなく、”行為が、社会的に決められたルールに則っているか” を判断しているようです。だからアメリカでは、ethics 的には正しく無いと思われる行為ででも、辣腕弁護士などは、勝訴に持ち込めてしまうのでしょう。

一般的に、アメリカの場合はethics法律を分けて扱っており、日本の場合は両方を混同して扱う事が多い気がします。

こういう観点から見ても、恥の文化罪の文化の発想の違いが感じられますね。

* 参照:  “The Chrysanthemum and the Sword-Patterns of Japanese Culture” by Ruth Benedict



リスクをとらない日本人? パート2

nori-face今回は前回に引き続き、「リスクをとる」ことについて考えてみたいと思います。

読者からいただいたコメントに、リスクをとるとは、周りの反対があったとしても自分のビジョンやパッションに従って行動することである、との指摘がありました。また、自分のサラリーマン人生を思い返してみると、自然とリスクをとらされていたような気がするし、結局、リスクをとるとは価値の高い仕事をすることに他ならない、との意見もありました。さらに、なぜリスクをとったのか、あるいはとらなかったのかを明確に説明できていない日本人ビジネスパーソンが多く、日本の国際競争力にとってはマイナスである、との提言もありました。それぞれ鋭いアイディアですね。これらの意見に共通する重要な視点は、我々がどこまで自分が直面しているリスクを認識できるか、そしてそのリスクにもとづいていかに自分の行動を積極的に選択しているか、ということではないでしょうか。

そもそも「リスクをとる」とは、その定義からして能動的な行為であるはずですから、存在するリスクをどこまで認識できているかが出発点なわけです。言うまでもなく、意識せずにとった(あるいはとらなかった)リスクについて説明することはできませんし、無意識にリスクをとって成果を出しても、それは持続可能な(sustainableな)ビジネスの成功にはつながりません。意識的、そして意図的な(intentionalな)リスクテイキングが不可欠なわけです。つまり、消極的な無作為は、それ自体がかなり高いリスクをとっていると考えられるのです。

ここで一つ例を使って、読者のみなさんと一緒に考えたいのですが、例えば、みなさんの会社の業績がここ3年ぐらい急速に悪化しているとします。つい最近、全社員向けの給与カットもありました。さらに、今の直属の上司はみなさんのことをあまり高く評価しておらず、逆にみなさんはそのような評価に不満があるとしましょう。ちょうどその時、信頼していた昔の上司から、転職の誘いが舞い込んできました。その上司が2年前に転職した先の会社は現在、急成長しており、自分のチームに来てほしいというのです。用意してくれる待遇も満足できそうな内容ですし、あなたにとって、その上司ともう一度一緒に仕事ができることは楽しみでもあります。

さて、このような状況におかれたら、我々はどのようなリスクを認識し、そしてどのような行動を選択することを検討すべきでしょうか。

いろいろなアイディアをお持ちしています! nori



一を聞いて十を理解する日本人?

morio-itozu-photo-1Morioです。今まで特にアメリカ人の人たちと仕事をしていて、なぜそれをやるのか、どうして今やらなくてはいけないのか?それを行なう/行なわないメリットは何かなど多くの質問を受けました。そのときそれらの質問に的確に答えられないと彼らを納得させることができず、結果的にモチベーションを下げ、たとえ無理に実行させたとしても良い結果を得ることはできませんでした。今まで行なったアメリカ人のインタビューやアンケート結果からも私も含めて日本人の多くは、結論だけを伝える、その際の説明にかけると思われているようです。

日本の諺にもあるように「一を聞いて十を理解する」というように「行間を読む」「言外の意味を組む」等、発言された言葉の範囲を超えた話し手の真意を組む取ることの大切さや感受性に価値を置いてきました。そういうコミュニケーションになれた私たち日本人は、逆に言葉でいちいち細かく説明して相手に理解、同意してもらうことに難しさやいらだちを感じるのでしょう。

あるアメリカ人コンサルタントと話をした時に、「1を聞いて10を理解するのが日本人なら、10理解してもらいたいなら15話さないといけないのがアメリカ人」と彼は言うのです。実際、彼は子供の時に親から「I can not read your mind. Tell me.」と言われて育ったと話してくれました。話をしないでも分かり合うことを期待する日本人、話し合わないと理解できないアメリカ人、これはミスマッチです。

グローバル化した世界を相手にビジネスをする時、バックグラウンド、価値観が違う人々から賛同を得てみんなに実行してもらうためには、なぜ自分がその意思決定をしたのか、どんな意図があるのか、その決定のメリット/デメリット、予想される結果など具体的に説明することがますます必要となります。相手の合意納得がない決定を実行させることは、結果的に信頼感を失うことになります。

これは多くの日本人にとってはややこしい、時には煩わしいことかもしれませんが、価値観の多様化とグローバル化に対応する代償だと思います。



リスクをとらない日本人?

nori-faceアンケートの結果をうけて、日本人とアメリカ人のビジネスにおける行動の違いに関する記事とコメントが増えてきましたが、リスクのとり方についても考えさせられることが多いですね。言うまでもなく、リスクをとらずにビジネスを成功させることは不可能なわけですが(ビジネスとはリスクをとってリターンを得ることとも定義できるわけですが)、国や文化によってリスクのとり方は違うように思います。

事例をあげましょう。7−8年前のことですが、あるグローバル企業が事業のスピード化を達成するために、「70%の確率で大丈夫と思うなら、すぐに行動をおこせ」とのお達しをマネジャー向けに出しました。アメリカ人経営者にしてみると、30%の確率でやり直しや修正が必要になるリスク(コスト増)よりも、確実になるまで待つことのリスク(機会ロス)の方が高いと判断したわけです。(もちろん、厳密なコスト計算だけでなく、マネジャーを活性化したいとの狙いもあったと思われます。)このお達しに最も困ったのは、それまで95%の確率でようやく行動をおこしてきた日本人マネジャーたちでした。「70%の確率になったかどうか、どうやって確実にわかるのか」と心配したわけです。なかなか興味深い反応ですが(!)、いろいろなレベルで分析できますね。失敗して「恥」をかく怖さ、軽卒な行動よりも思慮深い行動を好む傾向、結果よりもルールの遵守を優先させる価値観、あるいは短期的なゲインよりも長期的なゲインを目指す指向、などなど。

これに対して、より大きな成果を得られるチャンスとしてこのお達しに喜んだのはアメリカ人や中国人マネジャーたちだったようです。リスクをとりやすい環境が与えられ、仮に失敗してもある程度は許されると判断したのかもしれません。他のマネジャーよりも先に行動をとろうと考えたことでしょう。もちろん、この傾向が行き過ぎると何が起きるか。。。そう、2008年の金融不安の原因のひとつ(over-leverage)につながるわけです。つまり、どちらがいいとはなかなか言えない。

確実に言えることは、グローバル化2.0がビジネス現場に存在する不確定要素を確実に増加させていることです。リスクのとり方も重要なテーマとして考えるべきでしょうね。nori