New Japan Initiative Blog – 在米コンサルタント3人が日本人ビジネスパーソンに提言します!


グローバルビジネスは楽しいか?

のりです。転職に関する記事が続きましたので、今回は違う話にしましょう。ずばり、皆さんは普段のビジネスの場面で、異言語、異人種、異文化の人たちと仕事をすることを楽しいと思いますか?当然、ビジネスにおけるグローバル化は避けられないわけですから(それこそガラパゴス諸島に住まない限り)、楽しいだろうが辛いだろうがやらなきゃならない。でもどうせやるなら、楽しい方がいいに決まっていますね。ならば、どうすれば楽しくなるのか。逆にグローバルビジネスが辛いと感じる時、何が我々にそう感じさせるのか。そして、何をすれば少しでも楽しい方向に物事が進むのか。ぜひご意見ください。



転職は難しい?

のりです。ほんさんの前回の投稿では、グローバル化が急速に進む中での転職について意見交換をしましたが、読者の中で転職(ここでは会社を変える、または職を変えるの意)を実施したことのある人、あるいは真剣に考えたことがある人はいますか。もしいらっしゃればぜひ伺いたいのですが、転職したいと思った理由は何ですか。転職した人は何がうまくいき、何が思ったよりもうまくいかなかったでしょうか。転職を検討したけど実施していない人は、何が転職を難しくしているのでしょうか。すぐ下の「コメント」リンクをクリックして、ぜひご意見をください!



グローバルリーダーを育成するには

noriです。このブログの読者にズバリ伺いますが、もし日本の将来を託す次世代のリーダーを育成するスクールを設立するとしたら、どのようなクラスをその必須科目にしますか。

私からまず2つの科目を提案しましょう。最初は、クロスカルチュラル、あるいはトランスカルチュラル・コミュニケーション(このクラスを仮にComm100と呼びましょう)ですね。この科目は2つのサブ科目から構成され、最初は(Comm100A)自分のカルチャーについて深く理解することを目指します。これには歴史的、政治的、経済的、芸術的な知識が含まれるべきでしょう。2つ目のサブ科目は(Comm100B)、カルチャーの影響を受けているはずの自分のコミュニケーションスタイルを認識し、自分とは異なるカルチャーの人たちとコミュニケーションするスキルを習得します。

2つ目の必須科目は、プレゼンテーションスキルのクラス(Pres100)です。これはComm100が対人コミュニケーションにフォーカスしているのに対して、対グループに対するコミュニケーションと言ってもいいでしょう。ここでのフォーカスは、自分のメッセージを複数の人たちに効果的に伝えるスキルとグループのインターアクションを管理する能力です。

みなさんはどのような必須科目を追加しますか。もちろん、私が記した科目でさらにカバーすべきトピックがありましたら、ぜひ提案してください。



日本をいかに売り込むか コメント集

noriです。最近気づいたのですが、私は今年で人生の半分をアメリカで住んだことになるようです。仕事で頻繁に日本へ出張するとはいえ、アメリカでの生活が長くなると日本で暮らしていた日々が懐かしく思えます。そして改めて思うのは、やはり日本とは本当にすごい国だなー、ということです。皆さん、そう思いませんか。

何を急に、と言われるかもしれませんが、客観的に考えればアジアの東の端にあるちっぽけな島国が、大国に無条件降伏して7年間も占領された後、たった20年あまりでその大国に次ぐ経済規模になるまで成長したことはまさに驚異的です。世界の人々がJapanese miracleと不思議がるのも当然のことでしょう。ただ気になるのは、日本人である我々自身が、この事実の意味するところをどのように認識しているのかという点です。さらに言えば、他国から見た場合の日本の凄さ、ユニークさ、価値の高さをいかにグローバルな舞台で売り込んでいるのか。

このブログでも再三指摘してきたように、我々が心身ともにグローバル化していくためにはたくさんの課題がありますし、改善する点は多いでしょう。しかし同時に、自分たちの世界における位置づけを客観的に把握し、日本人ビジネスパーソンとしての「ブランド」を売り込んでいくことも不可欠な要素です。

トヨタ自動車による大規模なリコールがニュースで大きく報道され、「日本の高品質ブランドの危機」などと言いだす人もいるようですが、我々がグローバルに提供できる価値とは、「高品質な製品」以上にどのようなものがあるのか。1990年代以降の経済の停滞を踏まえ、今後ますます議論していく必要があると思います。

皆さんは日本ブランド、そして日本人としての自分の価値をどのように売り込みますか。

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anojiriさん

すごく考えさせられる問いかけですよね。

ファッションや食など日頃から世界に通用するんじゃないかと思う日本の文化やビジネスモデルはいくつか思い浮かびますが、何よりもまずnoriさんのおっしゃる「他国から見た視点」できちんと主張=コミュニケーションできることが前提だと思います。

日本国内でビジネスとして成功しているということは、基本的に何らかの人間の需要に応えてるから成り立っていると思うので、世界の人にもそのような需要がある筈なので、そこをきちんと相手の立場に立った視点でコミュニケーションがとれるスキルが高くなれば、もっともっと日本ブランドを世界に広められると信じています。分かりにくい表現ですみません。

ま、自分も全くできていないのですが。。。

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Cheburashkaさん

Noriさんの問いかけに対して、「和魂洋才」の逆の「和才洋魂」というのも面白い回答のひとつかもしれません。

トヨタさんの件が日本の高品質ブランドへの影響が懸念されているとの由、「TOYOTA」のブランドが完全にグローバル化されておらす「日本ブランド」であるということを逆説的に説明しているようですね。(政府もGM救済の好機と捉えている?)

よく“グローバル化”という表現をこのブログでも拝読しますが、個人的には日本ブランドが“グローバル化”することを『目的』とする意味やそのRETURNが何なのかが咀嚼できておりませんでした。

むしろ今議論が求められるのは「日本ブランド」のポジショニングを認識しグローバル市場でどのように売込むかというテーマだと感じます。そしてそれをグローバルな市場に、グローバルな(=非日本人の)人材を起用しながら実践してゆくための『手段』としての日本人ビジネスマンの「グローバル化」が求められているのが実態のように感じる次第です。

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nori

自分たちが提供できる価値を、違う文化や価値観を持つ相手にわかりやすくコミュニケーションすることは本当に重要ですし、なかなかチャレンジングなことですよね。目に見えて価値がわかりやすいモノを売る時は、その便利さや優れた機能、信頼性を視覚的にプレゼンテーションすればいい。でもどうせなら、なぜ日本のモノは細部までよく考えられた作りをしているのか、なぜ徹底的な品質管理がされているのかを売りたいですよね。つまり、その根底にある日本の文化的な価値観(職人的感覚、完璧主義、秩序を守る、ユーザーへの心配りなど?)をも理解してもらえるようなコミュニケーションをおこなえると、グローバル市場でのブレゼンスも増していくように思います。いかがでしょうか。

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Masaki

先週から日本に来ています。Noriさんがおっしゃっている「我々がグローバルに提供できる価値とは、「高品質な製品」以上にどのようなものがあるのか。」という点に関して、とある方が面白い発想をしておりました。

一般的に高品質を基にブランド化したと言うと、製品とか物を想像してしまいます。そういった物は、データや数字でその品質力を証明している事も多く見られます。

この方の場合大豆を取り扱っていますが、豆自体の成分のデータだけを比較すると、もっと栄養素の高い大豆も存在するそうです。しかし、大変すばらしい大豆としてのブランドを確立しています。これは、何故だろうと言う事を議論してみました。

彼のところで出しているブランド大豆は、実は、豆自体の品質だけでブランドを確立しているのでは無く、一定した品質管理能力、プロダクションコントロールといった大豆を生産するシステムがブランドになっているのでは無いだろうかという結論になりました。

日本が世界に売れ込める付加価値、ブランドって、製品以外のソフトスキルに目を向けても広がりが出て来そうですね。いかがでしょうか?

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Cheburashkaさん

Masakiさんのご指摘のとおり、“ソフトスキル”も非常に重要だと思います。

「ブランド」といっても、そのもの自体の良さだけではなかなか他人(消費者、市場)に伝わらないこともあると思います。(と苦労しております。)

「ブランド」に対する冷静な分析と必要な施策・投資が伴わないとなかなか短期間に浸透しないのも事実だと思います。もちろんある一定以上の実績と時間・歴史が「本物」になるための必要事項だと思います。

しかも、いまや日本産の大豆の生産量は僅かと聞いております。そのような外国産の原材料を使用しながら日本企業の高級なブランド価値が与えられるというの我々にとっては非常に勇気付けられるケースだと思いますのでこれからも頑張っていただきたいと思います。Masakiさんはじめコンサルの方々にも、是非さらなる分析と伝道を御願いしたいと思います。

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Samuraiさん

ブランドとは、名前や固有名詞が「誰もが理解できるそのもの」を指している事なんでしょうかね。同じさばでも「関さば」、絆創膏も「バンドエイド」また年配のビジネスパーソンはコピーのことを「ゼロックス」なんていったりします。これもブランドかしら?

日本人ビジネスパーソンが「ブランド」化される(自分達で「する」)には、尋常でない努力が必要に感じます。

私は、日本人は「企業にとっての全体最適」の判断を下せる人が多いように感じています(なぜか重役クラスは急激にその割合が減るが)。一方でリスクを取らない人が多いように感じています。つまり、リスク管理的な仕事は得意(だから製造業強い?あるいは製造業で発展してきた結果?)なのかもしれませんが、世界の人たちからは「プラスアルファ」が期待されているようにも感じます。

少ないリスクで画期的なビジネスを創造できるようになればいいのね(笑)プロデュース能力(創造と具現化のマネジメント)をブランド化したいです。スピルバーグのビジネスパーソン版か!

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morio

いかに日本を売り込むか?日本人をどう売り込むか?

これは、今とても重要なテーマだと思います。

この課題を解くために身近にあるものから振り返ってみたいと思います。

私の住んでいる町のアメリカにある典型的なスーパーマーケットチェーンの一つであるSafewayでは、キッコーマンの醤油やカップヌードルがアメリカの他の商品と一緒にお店に並んでいます。果物売り場では、リンゴのふじがゴールデンデリシャスといった昔からある種類のリンゴより大きなスペースをとって売られています。そして店内のスープやサラダやフライドチキン、サンドイッチなどを売っているセクションでは、巻物中心ですがお寿司をその場で握ってくれる(日本人の寿司職人ではありませんが)ブースもあります。アメリカ、特に西海岸カリフォルニアの現象かもしれませんが日本で生まれたものがアメリカのものと一緒にふつうに店頭に並んでいるのを見るとグローバルな世界で通じるブランドとして活躍していると感じます。

アメリカの人たちの日常レベルの生活の中で彼らに価値を感じさせることに成功したものが、そこにはあるような気がします。

ここまで成功してくるプロセスをもう一度振り返り、それぞれの歴史とストーリーから学ぶことが大切だと思います。

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ほんさん

ご無沙汰してます。Noriさんの問いに対する小生の考えは、

①日本の商品、サービス、文化、作法 などについて「日本人が再度その意味するところをきちんと咀嚼し、日本で当たり前のことをわざわざ説明する努力をすること」かなと思っています。

また一方で「過剰品質」と「高品質」にバランスを持つことでしょうか?

日本人として心地良いサービス品質は外国人にも心地いいはずです。その品質を認める文化を世界に作るリードを日本人にはチャンスがあると思います。

一方、たとえば日本中のあらゆるATMを絶対に止めない。そのために莫大なコストと時間をかけてシステムを作る。 ことと、50m先のコンビニのATMで手数料なしで使えることをバックアップに準備することはほとんど実害がないように見えます。

ある国際医療団体の方と話したら、本部は外国でその国の人が支援地(たとえばアフリカ)に支援に行くとどうしても「上から目線」になるそうです。 日本人は「同じ目線」で支援活動をするので、任期終えて帰るときに現地人に泣いて惜しまれるそうです。

「差別なく、人間的に暖かい」 という日本人の素養も胸を張って誇れる日本人の美徳だと思います。

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nori

このトピックにはたくさんの興味深いコメントをいただきました。さらに議論を進めていきましょう。

Cheburashkaさんの「洋魂和才」というご指摘はするどいですね。確かに日本の製造技術力はグローバルレベルで明らかにトップに達し、Deming氏やCrosby氏によってはじまった、いわゆるTotal Quality Managementは1980年代以降に欧米に旋風を巻き起こしたわけです。1990年代前半に私がシリコンバレーで働いていた時、Quality戦略は各IT企業の最重要経営課題でした。しかし、当然のことながら、製造技術力だけでグローバル競争に勝ち続けることはできないわけです。結局、ほんさんもご指摘の通り、「過剰品質」よりも「good enough but cheap」が勝る結果となるでしょう。

では何が必要か。そのカギのひとつは、元々なぜ日本が製造技術力でナンバーワンになれたのか、その理由にあるような気がします。島国でリソースが少ないなか、生産に手間のかかる米を主食として発展してきた国民性。そこから生まれた気質をいくつか挙げるなら、patience、precision、convenience driven、considerations for others、group orientation、など。例えば、そのような気質がほんさんご指摘の「心地よいサービス品質」や、海外での支援活動のクオリティにつながっているように思います。それらをもっともっと広い分野で活用できないでしょうか。

そのうえで、Samuraiさんがおっしゃる「プロデューサー能力(創造と具現化ノウハウ)」を発揮する。そして絶対に忘れてならないのは、anojiriさんも述べられたように、自分たちが提供する価値を異文化の人たちにわかりやすい方法で、かなりしつこく、そして全く遠慮なくプリゼンテーション/コミュニケーションすることです。その役割を担うのが、グローバルな舞台で活躍することを目指す我々日本人ビジネスパーソンなわけです。これはやりがいのある、大きな仕事ではないでしょうか!

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ほんさん

このブログを読みながら、ふと思うことがあります。

日本人ビジネスマンのグローバル化は「私が日本人なのかどうかもわからなくなる」ことでしょうか?

それとも「日本人であり、グローバルだな」を感じさせることでしょうか?

小生が仕事上で会う外国人ビジネスマン(特に欧州)はどこの国の人か聞かないとわからないことが多いです。氏名の特徴やアクセントでイタリア系、ドイツ系、UK系かとかは感じますが、スイス人なのかオーストリア人なのか、ベルギー人なのか判らない。でも、話の弾みでもない限り、わざわざ「貴方の国籍はどこ?」と聞かないこともあります。

同様に中国系(華僑系?)の人も台湾なのか、中国なのか、マレーシアなのか、にわかに判りません。

日本人は「ーさん」だし、韓国系は「リーさん、パクさん、、」 だし判りやすい。

日本人(&韓国人)は常に日本人(韓国人)の色眼鏡(良くも悪くも)を通して見られるんです。

何もしないと「日本人とはこういうもの」に嵌め込まれますよ、、、。

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masaki

ほんさんのコメント ”「私が日本人なのかどうかもわからなくなる」ことでしょうか? それとも「日本人であり、グローバルだな」を感じさせることでしょうか?小生が仕事上で会う外国人ビジネスマン(特に欧州)はどこの国の人か聞かないとわからないことが多いです。” は、本質に迫る質問であり、自分自身で洞察力のあるコメントを出しているような気がします。

私のクライアントに、こんな方がおります。日本本社や日本国内で働いている同僚からは、異端児扱いされていました。「彼は外人だよな。」とか「変な奴」とかのラベルを貼られていたようです。ところがグローバル舞台では、色々な国の人から尊敬され生き生きと働いています。 こういった人達を見ていると、純粋に違いを受け入れられると同時に、不器用さもあいまって、周囲の日本人からは、同化しない変な奴、変に外国かぶれしている奴などのレッテルを貼られてしまいがちなようです。

彼等の特性でもう一つ感じる事は、自分で考え判断でき、その根拠や理由を関係者に丁寧に相手が受け入れやすい理論で伝える事ができるように思われます。ここで面白い点は、彼等には ”しがらみ” などと言った日本的で説明の難しい事も違う視点で第三者に分り易く噛み砕いて説明できる事です。勿論、その説明が、日本人だけのコミュニティーで賛同を得られるとは限りませんが。。。それでも「日本では、こうだ。」とか「日本は特別だ。」とかで、説明を避ける事はしていないようです。

ここで面白いのが、彼も私も日本人である事に確信を持っています。海外の人からは、Last Samurai などとも言われています。海外で生活していると、より多くの日本の価値観を認識できるのかもしれません。

何年か前、同僚、上司、部下、クライアント、すべて多国籍の人達ですが、彼等に聞いた事があります。「僕って、やっぱり日本人みたいかな〜?」大体決まって、こんな答えが返ってきました。 「思いっきりSamuraiみたいだねえ〜。でも、masakiは枠に嵌められない、もの凄くユニークな存在だよ。やっぱり、masaki は masaki だよ。ラベルを貼る事自体、無意味だよ。」 はてさて、個人がグローバル化するって、どういう事なんでしょう?

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ほんさん、

masakiさん、「あるある、そういうこと」の事例をありがとうございます。私の思いは「日本人である、グローバル人」です。

個人としての「グローバル化」はしたいと思い、そのために「説明できない日本人と日本特有」を解消したいですが、「日本人、日本文化の良さ、例えば勤勉、約束は守る」などの「日本人」のマークは日本代表として持ち続けたいです。

日本人として外国人から同僚に対して「あいつは何言ってんだか全く判らない」などと言われるのは嫌なんですよね。

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nori

「日本をいかに売り込むか」から「日本人のグローバル化とは何か」に議論が発展してきました。おもしろいですね。私もmasakiさんやほんさんと似ているようで、あくまでも日本人としてグローバル化に参加している、という感覚を持っています。私は米国に高校留学した時から、自分の生まれ育った環境(文化、言語、価値観、死生観、宗教、など)を客観的に(比較文化的に)理解し、なるべく正確に、また明確に他の人に伝える努力を惜しまない、というマインドセットを持つようになりました。特に小さな島国でありながら、ミラクル成長を達成した日本で育った我々にとっては、「まずは日本を客観的に知り、伝える」ことがグローバル化の出発点だと思いますが、いかがでしょうか。

その意味で言うと、例えばほんさんがおっしゃる日本人の「勤勉さ」、あるいは「約束は守る」という特徴/行動例は、いったいどこからくるのでしょうか。なぜ我々はそう思われるのでしょうか。そして、それをどのように説明すればグローバルな舞台で明確に理解してもらえるのでしょうか。きっとこれらの質問に対する答の先に、日本をいかに売り込むか、のヒントもあるのでは?

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morio

日本人のグローバル化について、私は今まで日本人であることにプラスして日本人以外の人たちと臆せずコミュニケーションをとることができ、信頼関係を作れることが大切だと思ってきました。グローバル化するということは日本人を捨てることではないと思います。今日本人として日本の社会で生きるために学んだ能力、スキルを持ちつつ、さらに外国人とコミュニケーションができ彼らの信頼を勝ち取ることができる行動やスキルを身につけ、状況に応じて自分の行動を意識して変えることができることが大切だと思っています。

そのためには、日本人としての自分を知り、外国人の友人、知人、仕事仲間から質問されることには、安易に日本人や日本は特殊だと繰り返すのでなく、自分なりにきちんとなぜかを説明しようとしています。同時に、相手に対しても関心を持ちこちらからも相手に質問をすることが始まりだと思っています。自分も受け入れられ、相手も受け入れる関係を目指したいと思います。

日本人のグローバル化を考える上で、日本の携帯電話のことを思い出してしまいます。

一時はiモードをはじめ世界の最先端を走っていましたが、結果的には日本国内しか通じない「ガラパゴス化」してしまい、国際競争力を失ってしまったことを忘れられません。

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nori

日本をいかに売り込むか。この問いかけにはいろいろな角度からのコメントをいただきました。経済、政治、教育、文化のグローバル化が進む中、我々が日本人として「価値」を提供できる機会は増えているはずです。これは単に車、ハイテク家電、アニメ、寿司といったモノ(ハード)をいかに世界で売っていくかという側面だけではなく、それらの価値を裏付けている生き方、考え方、教え方、感じ方、緻密さ、勤勉さ、思いやりの気持ち、ホスピタリティ、サービス精神といったもの(ソフト)をいかに異文化の人たちに理解してもらい、日頃の生活に取り入れてもらうかというチャレンジを意味しているように思います。つまり、例えば「寿司を食する」ことにはいったいどのような価値があるのか、それがグローバル規模でここまで広まっていることは、日本あるいは日本人にとってどのような意義、可能性を意味するのか。そういった発想、感覚を持って行動していくと、結果として日本を最大限に売り込むことになると考えますが、いかがでしょうか。

そのためにも、まずは日本人としての自分の在り方、identity、行動特性、つまり私が言うところの「Being」を客観的に認識し、そのうえで様々な分野におけるglobal audienceに対して能動的に働きかけていくスキルを磨くことが重要となりますね。そして、このブログの読者のみなさんには、そのリーダー的役割を担っていただきたいと思います。我々とぜひ一緒に!

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Cheburashkaさん

モスクワは、中華レストランの10倍以上の日本食店がありますが、日本人の板前さんを抱える「純和食」店は片手以下です。また日本人が出資し開店時には日本の板前さんが指導するも、ひとたびロシア人に厨房を任せると「純和食」から「準和食」レベルに品質が低下し、集客・収支が悪化するのだそうです。そしておそらく7割以上の日本食店は現地の中流クラスの人の予算と嗜好にあったご当地の日本食屋さんです。(私も時々利用しますが・・・)

日本食文化はグローバル化したが、「本物」は簡単に模倣されず、その価値が燦然と輝いている、という感じでしょうか。

(中国産の贋物に対峙する高級ブランドのように・・・)

noriさんのコメントを拝読して、(よく引き合いに出ますが)ホテル・旅館業界を思い出しました。「リッツカールトン」もしゃれで素晴らしいですが、日本が誇る日本一の温泉旅館「加賀屋」さんのサービスを海外にもアピールするようなイメージでしょうか?チャレンジングですが、日本人として誇りをもって紹介したい文化・サービス(商品)ですね。

寿司屋さん、旅館などの日本の素晴らしい価値は、外国の方々は簡単に真似できないもの(=それ自体はグローバルではない、これもハイコンテクスト?)ですが、これらは間違いなくグローバル化した日本人によって初めて外国の方々へアピール、啓蒙活動ができるということだと感じます。



日本をいかに売り込むか

noriです。最近気づいたのですが、私は今年で人生の半分をアメリカで住んだことになるようです。仕事で頻繁に日本へ出張するとはいえ、アメリカでの生活が長くなると日本で暮らしていた日々が懐かしく思えます。そして改めて思うのは、やはり日本とは本当にすごい国だなー、ということです。皆さん、そう思いませんか。

何を急に、と言われるかもしれませんが、客観的に考えればアジアの東の端にあるちっぽけな島国が、大国に無条件降伏して7年間も占領された後、たった20年あまりでその大国に次ぐ経済規模になるまで成長したことはまさに驚異的です。世界の人々がJapanese miracleと不思議がるのも当然のことでしょう。ただ気になるのは、日本人である我々自身が、この事実の意味するところをどのように認識しているのかという点です。さらに言えば、他国から見た場合の日本の凄さ、ユニークさ、価値の高さをいかにグローバルな舞台で売り込んでいるのか。

このブログでも再三指摘してきたように、我々が心身ともにグローバル化していくためにはたくさんの課題がありますし、改善する点は多いでしょう。しかし同時に、自分たちの世界における位置づけを客観的に把握し、日本人ビジネスパーソンとしての「ブランド」を売り込んでいくことも不可欠な要素です。

トヨタ自動車による大規模なリコールがニュースで大きく報道され、「日本の高品質ブランドの危機」などと言いだす人もいるようですが、我々がグローバルに提供できる価値とは、「高品質な製品」以上にどのようなものがあるのか。1990年代以降の経済の停滞を踏まえ、今後ますます議論していく必要があると思います。

皆さんは日本ブランド、そして日本人としての自分の価値をどのように売り込みますか。