New Japan Initiative Blog – 在米コンサルタント3人が日本人ビジネスパーソンに提言します!


アメリカのグローバル化

nori-facenoriです。今回はアメリカについて考えてみます。皆さんはアメリカ合衆国(USA)について考える時、どのようなイメージが頭に浮かびますか。超大国、カウボーイ、ハリウッド、ハンバーガー。。。それらの表面的な印象を乗り越えたレベルでは、いかがでしょうか。

先日、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したという報道がありましたが、アメリカのメディアの中には、これはグローバル社会におけるアメリカのイメージが大きく好転したことの現れであると報じたところもありました。それが本当なら喜ばしいことですが、より重要な問いかけは、「なぜ大きく好転するほど、最近のイメージが悪かったのか」ということです。もちろん、9/11以降のテロ対策の行き過ぎや、ウォール街に発した今回の金融不安も影響しているとは思いますが、それだけではないと考えるべきでしょう。

私はアメリカに住んで20年以上になりますが、確かにいろいろな意味で「アメリカ」、そして「アメリカ人」が変わろうとしていると思います。しかし、当然のことながら変わっていない点も多々あり、その代表がアメリカ人の潜在意識にある、「自分の自由を奪う恐れのある権力に対する異常なほどの不信感」です。それがアメリカの独走的(独善的)に見える行動を生んでおり、社会がグローバル化すればするほど、それを脅威に感じる人が増えてきていると考えられます。つまり、他人(=権力になりうる存在)に頼ることを避けて、自分の責任において好きなようにやることを善とする、そして逆に自分が権力になってしまえば、権力を恐れる必要はなくなる、という精神です。実はこのようなアメリカ人の行動は、グローバルビジネスにおいても日常茶飯事に起きていると思いますが、いかがでしょうか。

誤解のないように言うと、私はさまざまな理由でアメリカが好きですし、学ぶべきことは多いと感じます。しかし、現在起きている健康保険制度の改革論争からもわかるように、中央政府に束縛されることを異常に嫌う民衆の姿を見ていると、私はこの国民がグローバル社会の一員として、適度なhumilityを持ちながら本当のリーダーシップを発揮するのには、もう少し時間がかかると思っています。これはグローバルビジネスにおけるアメリカ人に対しても同じで、私としては「アメリカ人のグローバル化」を求めて止まない今日この頃です。ご意見お待ちしています。


4件のコメント これまでに
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日本人のグローバル化とアメリカ人のグローバル化には、それぞれ何が求められるのでしょうね?

例えば、日本の高級温泉旅館と呼ばれる宿泊施設は殆どの場合、「高級」なのにビールの銘柄、夕食の料理を選ぶ形をとっていません。よく言えば「自信をもっている、アイデンティティ・自己主張・プライドがある」ですが、アメリカ人にとってはその価値がゼロということですよね。あるいは、このような提供する側のサービス形態が、サービス享受側の「選択の自由はないのが当然」という文化を生み、ビジネス的にも同様の発想がされ続けてきたのかもしれません。
 世の中が満たされていない状態のときは、実は提供側の論理に甘んじるほうがよりよいものを享受できたのかもしれません(というか、情報が無いために何が良いのか知らない・わからなかったかもしれない)。しかし時代が変わり、モノが満たされ、情報も簡単に入手できるようになると米国流のオプションは享受される側がもつべきとなったのかもしれませんね。
 知らないことや頼ったほうが良いこともあるというのは、歴史や伝統があれば理解しやすいですが、新しい土地を自分たちがすべてのリスクを負って開拓してきた米国人には理解しがたいものがあるのもうなずけます。
 結局のところ、自分をある程度開放しないとグローバル化は難しいのかもしれませんね。「打ち負かされる」のではなく、何かあるかもしれないと興味をもって聞き、自分なりに消化していく姿勢が日本人もアメリカ人も必要かな?(日本人は、消化しないで真似するのは得意という皮肉もこめて(笑)

コメント : 匿名

匿名さん、masakiです。

匿名さんのコメントで、一つ私自身が消化できた事があります。
有り難う御座います。

「しかし時代が変わり、モノが満たされ、情報も簡単に入手できるようになると米国流のオプションは享受される側がもつべきとなったのかもしれませんね。」ああ、そう言う事かと思いました。

実は毎年、アメリカ人の妻と実家の両親を連れて日本旅行を楽しんでいます。妻にできるだけ良い日本を体験して貰おうと、かなり背伸びをして、日本式の良い旅館に泊まります。

前もってお願いしているのですが、いつも料理の出し過ぎには困ってしまいます。勿論、食べられる物、食べられない物のアレンジはして頂いておりますが、食事の量を可成り減らして欲しいというお願いには、余り対処がされていません。多分、提供する側からすると、他のお客さんもいる事だし、皆同じ物を出した方が楽なのでしょうね。勿論、Quality は高いです。でも、画一的なんですね。世界中で飢えている人達の事を考えると、同じ料金を払ってでも、食事の量を減らして欲しいのですがね。

但し一件だけ、すばらしい旅館が箱根にありました。4年程前ですが、食事の量を彼等なりに減らしたにも関わらず、私たちは食べきれませんでした。呑む方が、手一杯で。。。それを感じ取った板長さんが、2日目の夜は、バシッと適量をアジャストしてきました。これこそ、享受される側の目線にたったすばらしいサービスだと思いました。未だに、そこよりすばらしいサービスに出会った事はありません。

そう思うと、サービスの質もその社会の成熟度によって変化するのでしょうね。同じくグローバル化も社会の成熟段階によって、違う質のものが求められるのでしょう。日本のグローバル化の歴史を見ると分るかも知れません。

今の日本が求められているグローバル化の質と、中国に求められているグローバルの質はきっと違うのでしょうね。

コメント : masaki

名前フィールドに入力おし忘れて「匿名」になっちゃいました。masakiさん、コメント者は「samurai」でした。
 コメントを投稿した後にふと思ったのですが、君主に統治され性善説で何とかなってきたのが日本人(悪用したのが悪代官とそちも悪よのう、の庄屋(笑))、何のルールもなく(宗教だけは一定の社会観を提供しましたが)自分たちでリスクをとって開拓してきた人の集まり(情報共有されてきた、その努力をしてきた)だから、個人が主張、主体の米国人という歴史の違いが、それぞれの行動や価値観を支配してきたのも大きいと思いました。

コメント : samurai

今晩のドイツ人、フランス人、ロシア人のパートナー達との会食時に、提供すべき「グローバルなサービス(Global-standard Service)」の話題になりました。4人の意見をまとめるとその目安は「良いもの(Fair/good)」、「分かり易い(Simple)」、「SOP管理されている(Standardized)」、「地球規模の事業展開(World-wide)」という仮説に落ち着き、それによると私が彼らに依頼している“日本的サービス”(「加賀屋」または「リッツカールトン」的サービス)は少々高級かマニアックなんだそうです・・。

それはともかく、市場経済(含む金融危機)、フォード式ライン生産、多国籍企業の実績、インターネット革命、等の事象の中心地であったアメリカこそが“グローバル化”推進の(=経済・事業を世界規模にした)主役だと思います。

ただし欧州人もアジア人もすべてがアメリカナイズされることには違和感があるでしょうし、“権力を持った”が故に、異なる価値観を持つ側から嫌悪感の対象にもなりやすいのだと思います。そしてこのことはnoriさんのご懸念されるアメリカが十分にグローバルなリーダーシップ(含む政治的)を発揮できていないことに繋がるかもしれません。

今日最も“グローバル化”が加速しているものの一つに「環境問題」があります。これまでは「欧州リージョナル」な取り組みだった環境対策を、それまで消極的だったはずのアメリカの前副大統領の活動がきっかけとなり“グローバル”にUpgradeできたのだと思います。(「もったいない」の精神と、モンスーン気候に育まれて、昔から環境社会が進んでいたはずの日本にその推進力がないのが残念…)そういう意味でもアメリカは凄いですし、今後さらにグローバルなリーダーとなる期待はあるのではないでしょうか。

ちなみに今日の会食は、それぞれ「お国ことば」の訛りが色濃語く残る「英語」だったのは言うまでもありません。(さすが、グローバル言語ですね。)

コメント : Cheburashka




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